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2011年4月の投稿

2011年4月29日 (金)

フィギュアは芸術とスポーツの融合だなぁと思いました。

昨日は男子のフィギュアスケートがありました。日本勢は銀メダルが最高となりました。

以前,私はフィギュアを見ていたときに,跳んだ!そして回った!といったスポーティな部分を楽しんでいました。間にあるスピンやステップはその○○アクセルとかいった山場のつなぎくらいといった感じで鑑賞していました。

ただ,そういった感じで見ていたその当時,(つい最近までなのですが…)なんとなく,衣装は違うものの,みんな同じに見えてしまい,見なくなっていました。

ところが,特に前回のオリンピックでのキムヨナ選手の滑りを見て,フィギュアの見方が変わりました。総合的な芸術性のようなものをすごく感じたのです。

当然,ジャンプや回転もありましたが,それよりもステップや表情,手の動き,体の動きなど,本当に見ごたえがありました。

たぶん,フィギュアのファンの方々は,それが,フィギュア何だと言われるかもしれません。ただ,ただのんびりとフィギュアを眺めていたにすぎない私には,それでもぐんぐん見てる人の感性に入り込んでくる,その演技にずいぶんと感心させられたものでした。

昨日のチャン選手もそうでした。細かい技術の素晴らしいのでしょうが,そういったことはよくわからない私にとって,「すばらしい」「感動した」といった余韻が残りました。

これまで,「いつジャンプする?」「いつ回転する」ばかりに目を奪われていた私ですが,彼女たちの演技が力づくで私の見方を変えてくれました。

今日,女子のフィギュアがあります。心と感性にズンズンと訴えかけられる衝撃をまた楽しみにしています。

2011年4月28日 (木)

被曝線量上限撤廃について思うこと

作業員の年間被ばく量の上限が撤廃されるという記事がありました。

私は放射線についての専門家ではないので,そこで出されている数値が正しいのか,間違いなのか,大丈夫なのかなどはわかりません。

ただ,わからないからこそ,こういった報道の中に見える疑問点が私を不安にさせるのです。

現行の上限では作業員の確保が難しくなるためと言われています。

被曝量の上限と作業員の確保は並列して考える問題なのでしょうか?

確かに現実問題として考える必要があるのかもしれません。しかし,働く作業員はコマではなく人なのです。健康上の不安材料はきちんと整理すべきだと思います。

5年で100ミリシーベルトの上限も何とかならないかと言われたとか言われてないとか。それに対して厚労省がさすがに危険だと述べたとか。

人を送り込む人が危険を顧みず人を送り込もうとする。

また,そもそもの基準もその時にしっかり研究して作られた基準であると思われます。それを簡単に現状に合わせる形でなし崩し的に撤廃というのはどうなんでしょうか?

他にも外国での基準は○○シーベルトなど比較としてなのかよく報道されますが,そこにばらつきが見られるのもなんとなくの不安を感じさせます。

人は同じなんではないか?浴びる放射線の影響も大して変りはないのではないか?それなのになぜ基準値にばらつきが見られるのか?

結局,人はまだ原子力をコントロールできるレベルではないのではないでしょうか?

確かに原子力はいいエネルギーなのかもしれません。しかし,太陽光エネルギーのいいエネルギーでしょう。太陽光は量産できるだけの技術等がまだそろっていないとも聞きます。では,原子力はできているのか?

放射線の体に与える影響や事故等に対応する技術など今回の件から見て,技術が間に合っているとは思えないのです。

放射線についての理解が十分であるかどうかの疑問を抱いている中で,今回のように上限撤廃して「大丈夫だから」と言われても,不安ばかり募ります。

2011年4月27日 (水)

あえてボランティアの課題に触れたいと思いました。

多くのボランティアの方が被災地を訪れ多くの力となっているようです。本当に素晴らしい方々が多く,私が何かを申すなどということはありません。

そこで,今回,現地へボランティアへ行った方や現地の自治体等と連携を取られている方々から伺った情報を提供していきたいと思います。

そこで,その中からあえて,ボランティアの課題のあたりを触れてみたいと思います。

まずは,体調を万全にしてきていただきたいと言われていました。ボランティアの方の中には一念発起して自分の体調をいとわず来られる方もおられるとのことです。

まず,現地へ向かうためには交通手段がなく,自分でいくしかないとのことですが,その移動で多くの体力を奪われている方が多いとのこと。さらに現地はトイレの問題,様々な未処理のままの廃棄物,家畜の死がい等多くの臭いを放つものが散乱しているとのことです。ボランティアはそれらの片付けなどもするため,移動で奪われた体力のほか,肉体労働でも体力を奪われ,それらに加えて上記のような環境のため体調を崩す方がおられるそうです。

現地では医療機関,病床も不足しており,ボランティアが医者にかかると現地の人がそれだけかかれないことになるとのことでした。

また,積極的に率先して行われる方について,ありがたいが,「あれはどうなってる」「これをしたらどうか」と動かれるたびに,現地の計画を説明したり,その人に納得してもらうために人(指揮をするための人)が割かれたりして,かえって混乱を生むということもあるようです。

ただでさえ,ボランティアをコーディネートする立場の人が少ないようで,その人たちの行動が何らかで支障をきたすと,多くのボランティアの行動が右往左往するとのこと。

現地に入れば,現地の指揮に従うのがいいのでしょう。

また,何かできることはと,あまり準備等をせず来られる方がたまにおられるようで,現地の悲惨さに何もできずに帰られる方もおられるようです。そのような方の中には,その後被災地の悲惨な事故等の報道で自責の念を強く感じてしまう方もおられるようです。

時には,被災地への交通手段,宿泊方法,食事の支給など,ボランティアの待遇面についての要求を強く出される方もおられるようです。現地の状況から対応の限界もあるので十分な待遇を求めることは難しいことを前提にしてほしいという話もありました。

さらに連休明けの不安も言われていました。5月の連休には多くの善意が行動を伴って被災地を訪れていただけることとなるかもしれない。感謝してもしきれないが,連休が終わった後の閑散としてしまう雰囲気が,被災地の方にどのような影響を与えるのかが不安であるとのことでした。

「情けは人のためならず」

ボランティアも被災地の方のためではなく,自分のためとして「行わせていただく」といった気持ちも必要なのでしょう。

2011年4月26日 (火)

停止できないまま運転される原発…そこが問題?

今回の震災での原発の事故で,多くの知らなかった現実を知ることができました。知らされていなかったのではなく,知らなかったのかもしれませんが,この機会に知ることはできました。

これまで,原子力発電はクリーンで経済的,そしてエネルギーを輸入に頼る日本にとっては,将来性のあるエネルギーと謳われてきたと思います。少なくとも私はそう思ってきました。

しかし,今朝の新聞で,今回のような非常時に,安全に安定的に停止できる原発が少ないということが報道されていました。

であるなら,原子力発電はクリーンで経済的,そしてエネルギーを輸入に頼る日本にとっては将来性のあるエネルギーであるが,コントロールはできない。そう謳うべきではなかったかと思われます。

これまで人は多くの自然のエネルギーを利用するために,それらをいかにコントロールするか研究を重ねてきたのだと思います。

現在,非常に便利に使用している「火」も初めは恐れの対象であったわけです。そして,今でも多くの動物が「火」を恐れます。「火」に内在するエネルギーのすごさに,そしてなぜ「火」は燃え,起こるのかがわからなかったために,ただ恐れるばかりでした。

そして今,「火」は私たちの生活になくてはならない存在となっています。大まかにその原理がわかり,コントロールできるようになってきたからです。

そんな「火」でさえ,時折私たちに牙をむきます。しかし,大まかであっても「こうすれば大丈夫」とコントロールできる時代になってきています。なので,リスクを背負いながらも,私たちは「火」を安心して利用することができています。

では,原子力はどうなのか?実は全然コントロールできていないのではないかと思われます。また,それらに打ち勝つ化学も見つけられていないのではないでしょうか?

「火」は「水」により消すことができます。些細な「火」であれば,幼児でも消すことができる。原子力はどうですか?

些細なので「健康に問題ない」と言うだけで,放射性物質が外部に漏れ出すことを防ぐこともできない。

少しだから「吸っても大丈夫」ではなく,これくらい「難なく防ぎきってみせる」との言葉がほしかった。

原子力発電を止めることは現実的ではないと言われます。しかし,コントロールできない代物を使い続けることの方が現実的ではないのではないでしょうか?

多くの自然エネルギーを利用することができる進んだ科学に守られ,いつしか慢心があるのではないでしょうか?原子力エネルギーの真の理解を得られぬまま開発だけすすめられていたのではないでしょうか?

今回の地震,津波。まだまだ,人の力は自然に遠く及ばないことを知らされました。そして,その現状でさらなるまだ未知ともいえる原子力エネルギーに踏み込んでしまっています。

身の丈に合った暮らし。慢心した人類に求められているのかもしれません。

2011年4月25日 (月)

風評被害を起こす人たち

つまらない騒動を書きたてることでそれがまた,情報となってしまう結果となることもあるので,つぶやこうかどうかと迷いましたが,「自分なりの信念があっても,現時点で言っていいこと悪いことの判断」ができない人もいるといった話としてつぶやくことにしました。

今回の震災を人工的と言っている人たちがいるそうで,それだけにとどまらず,原発の利用法についてもねじ曲がっているようにしか思えない方向で認識されている様子です。

地震でいえば,阪神大震災も人工的だったなどの展開も見せる始末。

なぜ,今,この時期にそういう発言をするのか?

原発の利用法・建設の意図が他にあったなど,なぜ,今この時期に言うのか?

情報の真偽よりもそれを発するタイミングに大いなる疑問を感じざるを得ません。まだ,どれだけ多くの人が被災の最中にいると思っているのでしょう?

「注目を集めたい」

それだけしか感じられません。そして,その真偽不確かな情報こそ,風評被害をもたらすことをわかっているとは思えません。

「復旧と復興」今は,それぞれの人たちができる範囲で,ただそのことに気持ちを集中していくべき時だと思います。

2011年4月24日 (日)

復旧よりも復興。そしてその財源について思うこと

被災地の復興について多くの意見,提言等を様々なメディアを通じて聞くことができます。その中で共通しているのは,単なる復旧ではなく,今後の発展を見越した復興にしなければならないという点ではないかと思います。

そして,復興にはお金がかかるという点も共通しているのではないかと思われます。

では,その財源はどうするのか?そこで,増税という話があります。国債発行という話もあります。財政支出の削減により生み出すという話もあります。

増税は国民広く負担を分け合い,即効性が高いのかもしれません。しかし,逆に国民に広く負担を強いるだけで,復興という観点から行くと,経済を緊縮しかねず,順調な発展を生みだすかというと不安もあります。

さらに,増税には「これを機に」という話も散見され,長く増税に踏み切れなかった消費税増税のいい機会にしてしまおうという,妙なマクロ的?意見もあるようです。

国債発行は,基本的に国債を買える人が買うので,一時的に広い国民負担にならずに済むかもしれませんが,その返済について,将来の人に付けを回すことになるとの意見もあるようです。さらに,現在ある国債(借金)のことを考えると,到底国債発行はすべきではないとの意見もあるかもしれません。

財政支出の削減については,額が少ないため,効果は非常に薄いと言われているようです。

私は財政・金融の専門家ではないので,どれがいいと即断はできません。

ただ,個人的に思うことは,「復興のために○○円必要」という試算額は大まかにわかったとして,その○○円を賄うために増税か国債かというのは特に専門家ではなくとも思いつきそうなものだということです。

専門家であれば,「現時点の復興には○○円必要」ということを言ってほしい。つまり,最小限の復興負担額の考えです。「なぜ,たったそれだけでいいの?」と私たちが思うと,「そこからは民間の発展が復興の資金を生みだすからです」との答えがほしい。

つまり,復興に対する発展のビジョンが見えてこないような気がするのです。誤解を恐れずに言えば,単に「豪華な復旧」にしか見えてこない気がします。

現在の復興計画によってどのようなお金の流れが生み出され,その流れが,またどのような流れを作り,支流を作るのか。復興のためのシナリオが,被災地,将来的には日本の発展をきちんと見通しているのか,それとも一部の利害関係者の利益を常に配慮されたものになってしまっていないか。

それらをどう集約し,どう実践していくのか?

しかし,今,手を結びあい,それを発見できれば,被災地の方々をはじめとした,多くの日本人が世界から称賛と尊敬を集めることができるのではないかと思います。

2011年4月22日 (金)

警戒区域の指定について思うこと

計画区域が指定されたとの報道がありました。「○○km圏内」が指定とよく言われます。ただ,よくある批判の中で,原発を中心とした同心円で警戒区域を指定するのは意味がないと言われています。

放射性物質は風に運ばれるので,風向き等の影響を踏まえた上で警戒区域等を決めていくべきだとの意見です。

野菜の販売禁止も確か,単なる同心円ではなく,放射性物質の影響を受けたと思われる野菜が禁止になったと思います。その影響の土地はこのような円を描いていなかったような…。

とすると,もちろん警戒区域を決めた人ももちろんそんなことご存知の上で今回の区域を決めたとなると,不安な私の気持ちはその裏の意味をついつい勘繰ろうとしてしまいます。

これまでの動きからすると,できるだけ影響がないことを強調するような報道が多かったので,この円の中はよっぽど危険である。また,逆に,様々な気候上の影響を受けて,警戒すべき地域は確かに若干変動するが,これだけの範囲を定めておけば,若干の変化には十分対応できる広さである。

それとも,とりあえずこれくらいを決めておこうとか…。

私が知らないだけかもしれません。ただ,どういう意図と根拠でこの区域が指定されたのかの丁寧な説明がほしいなぁと思いました。

もし,あったのであれば,教えていただければ幸いです。

2011年4月21日 (木)

次世代のエネルギーをフェアに考える必要性

昨日の阪神・巨人戦で巨人の選手の落球?と思われるシーンがありました。若干,阪神びいきの私にとってみれば「ラッキー」と思いましたが,判定はアウト!

VTRでも落としているのがわかりましたが,判定は覆りません。当の選手自身やその近くにいた選手には,真実が分かっているであろうけれども,何も言わない。

「フェアプレーの精神はどこに行った!子どもたちも見てるんだぞ」

と阪神びいきの私は思いますが,これも,戦いの中では一つの技術なのかもしれません。

ただ,この審判がはじめからどちらかよりで審判をすることになっていれば,この問題はこれで終わることはないでしょう。プレーのフェアではなく,ジャッジのフェアが問われます。

今朝,次世代?のエネルギーについて情報を流している番組がありました。「この自然エネルギーでも将来的に十分なエネルギー量が確保できる」と言われていました。その「十分」なという点にはまだ?の感じもありましたが,可能性はあるのではないかと思われました。

「次世代?」と書いたのは,これらの自然を利用したエネルギーは決して新しい発想ではなく,以前からあったものと思われるからです。さらに改良がくわえられて,以前よりも実用に耐えるレベルまで上がりつつあるようです。

そこで,ふと思いました。今回の原発の事故によって大きく原発建設には逆風が吹いていると思われます。ただ,原発ありきで考えられてきたエネルギー行政とでもいうものが,この逆風をどのように受け止めるのかということです。

「原発は安全」「今回も最小限に食い止めた」「今後さらに安全性を高め,放射線等をコントロールできる技術を目指す」など,やはり原発ありきの発想の中で逆風をいかに沈めるのかということを考えていきそうです。

しかし,現状で多くの代替エネルギー関係者が手を挙げているのではないでしょうか?「自分たちにもっと研究開発費をいただければ○年以内に実用化できるようにする」などと言っている団体もいるかもしれません。

それらの団体は前述でいえば「選手たち」です。選手たちなので競争に勝ちたい思いから若干「オーバー」に自分たちの研究を訴えるかもしれません。

それらの声を受け止め,選択するのが行政等の立場であるとするなら,どのように選択(審判を下す)するのかには公平性が求められます。

野球の例でいえば,審判がどっちかよりであれば,試合は成り立たないし,おもしろくもないので,衰退の一途となるかもしれません。

選択する側が「偏見」「権益」等と忘れ,フラット・フェアな視点で代替エネルギーについて考える必要性が今あるのではないかと思われます。

2011年4月20日 (水)

消費税増税,電気料金アップについて思うこと

被災地の復興の財源について様々に論議がされています。

今朝の新聞では消費税増税が3年の時限立法により,進められようとしているとのことです。今後,消費税は3%アップの8%になるとのこと。

これはある意味,やむを得ない措置と言えるのかもしれません。復興は必須です。そして,そのために財源が必要なのも,もちろんな論理です。

ただ,気になることもあります。消費税について広く徴収できるメリットがる一方で被災者の方々への負担も起こるとありましたが,負担はそれに限らず,現在の不況の中でもがくしかない状況にある不況難民と言いますか,職を手にできない人たちへの負担ともなるわけです。

これまで,この不況下での増税に対し,異論も噴出してきました。震災が起こったというとてつもない大きな難局が出現したことは事実ですが,それ以前に,不況克服のための何らかの手が打たれていたとはなかなか言えない状況です。

つまり,経済的な現状が変わっていないが,増税は行わざるをえないということになります。

また,電気料金のアップも言われています。電力については慎重に慎重を重ねて設計されたはずの原子力発電が想定外という「慎重さに欠けた」としか思えないような言い訳の中での事故です。多くの反対をも押し切って建設に踏み切った後に,料金という形で自分たちの責任を広く国民の負担としてしまうことに不満も感じざるを得ません。

年金の財源も財源の検討に組み込まれると言います。

消費税については時限的な要素があると言っても,いつの間にか出来上がる既得権益を得た権力者が手放そうとしないのではないかとの危惧もあります。

ガソリン税のことも頭をよぎります。

年金についてはここで財源を使うことで,将来の年金財源増税の布石になるのではないかとの危惧もあります。

電気料金は,復旧のみならず,新しい建設のためにも使用されるのではないかとの危惧もあります。

そういう危惧を払しょくするには,まず身を切る努力をしていただきたいと思います。

国会議員や国家公務員等の報酬,給与等を時限的にカットするというのはどうでしょう。

国会議員の定数削減もここで進めてしまうというのはどうでしょう。

まず,何から手をつけるべきなのか?それも問題ではないでしょうか。

2011年4月19日 (火)

「不安を煽る」という積極的動きではない形で煽られる不安

大型のクレーン車が小学生の列に移動して,小学生が6人も死亡する事故が発生しました。先日は入学したばかりと思われる中学1年生が列車にはねられ死亡しました。

現在,震災の影響で全国が大きく揺れています。その復興に様々な形で,様々な機関がかかわっていき,集中的・全体的なケアが望まれます。

しかし,冒頭で書いたような日常の何げない風景の中に突如現れる悲惨な光景まで,復興の最中は待っていてくれるわけではなく,やはり,事故だけでなく,窃盗,殺人等は時を待たず起こるでしょう。そして,救急医療は常にどこにでも必要なものです。

多くの力を東北・関東に集中したくとも,できにくい状況も現実としてあるのかもしれません。

さらに,これからを考えると梅雨の雨がどんな影響を及ぼすのか?台風の季節にはどうなってしまうのか?

復旧に半年以上というが,そうなると北の地方では冬の厳しさがもうすぐ目の前ではないでしょうか?

今回の地震では大陸側プレートのひずみの影響が引き起こしたと言われていました。しかし,今後は太平洋側のプレートもその影響で動きがあるかもしれないと言います。

そして,原子力発電所の問題。「こうすれば大丈夫!」という方策が全然見えないまま,手探りで進められているように見えます。

今朝の新聞で,国会議員の動きについての批判が乗せられていました。内閣や首相にばかり,責任の所在を求めているが,もっと国会・国会議員が動けばいい。法律を作るのは憲法上,国会に認められており,内閣は法律に基づいて行政を実行する役割だ。議院内閣制の首相には,権限が集中するようにできておらず,国権の最高機関として国会を上げている。国会が今こそ動くべきといった感じでしょうか?

実際,現実の権力構造がどうなっているのかはわかりませんが,このような考えもわからないではありません。

国会議員の方が言っておられました。「政府はみんなでやりましょうと言うが,何をやってほしいのか明確にしていただかなければ,参加のしようがない」と。

う~ん。批判はすれども,言葉の端に出てくる他力本願。「○○しよう!」と声をかけることによって,もれなく生じる「責任」を避けようとしているようにも見えてしまいます。

様々な災害・被害・課題等に対して,先手先手を打って出る。もし,全部が正解ではないかもしれない。しかし,積極的に動いて解決しようとしてくれている。そういう旗のひらめきがないことが,不安を引き起こしているのではないでしょうか?

不安の波動が「解決」という糸口が見えない状況でどんどんと広がっていく。誰が広げようとしているわけでも,煽ろうとしているわけでもありません。

後手後手に回って,消極的に動いてしまっているような旗の動きが不安を広げているのかもしれません。

2011年4月18日 (月)

原子力発電所の行方

今後の電力供給についてどうするのかが話題になっています。

というのは,やはり今回の原発の事故が原因でしょう。「コスト」「CO2の排出」等で次世代の電力として建設がすすめられてきました。そして,誰しも気になっていた「安全」面でも「大丈夫」と言われていた。

ただ,今思えば,「安全」「大丈夫」との声は建設推進派の「建設ありき」の思惑が根底にあって,建設推進にとって都合のよい調査結果で「安全」「大丈夫」ではなかったのかと思われます。

というのは,原子力の対応について「大丈夫」だったのではなく,建物が丈夫だから「大丈夫」ということが今回のことでわかったような気がするのです。

当然に「前からそんなことわかっている」と言われる方も多くおられるでしょう。しかし,そのような声を抑え込んで,原発はどんどん建設されました。

原子力そのものの安全性よりも,発電所の建築物自体の安全性をいう,言葉なのか,現実なのかのトリック的な方法,さらに,人口の少ない地方へのお金をセットした建設計画。

そのような背景の中,原発というパンドラの箱は開けられた。

今言われるのは,現実的に原発の建設をやめてしまうと日本の電力が大きく不足し,経済的にも成り立たなくなるとのことです。

原子力そのものを操ることは困難なのでしょう。現在の現実をみるとわかります。しかし,その多いなる危険性を知りながらも,後戻りができない。開けてしまったパンドラの箱を閉めることはできないのでしょうか?

「コスト」も他の発電方法に比べるとやすいと言われてきました。しかし,この現状で原発が引き起こした多くの課題,問題,被害をのりこえていくためにどれほどの「コスト」が必要となるのでしょうか?

夏の電力のことなども言われています。しかし,私たちの生活に直結する電力よりも,工場やビジネス街等,経済活動に使用されている電力は莫大なものだと聞きます。私たちがクーラーをうちわや扇風機に変え,冷蔵庫をクーラーボックスに変えても,経済が停止すれば,我慢のレベルを超えてしまいます。

まず言えることは,原発を推進してきた人々が,今こそ原子力の「安全」「大丈夫」を現実のものにしていくことではないでしょうか?

それは基準値を操るような言葉の問題ではなく,「本当の安全・安心」を描く技術ではないかと思われます。

そして,現実として停められない原発の動きであっても,代替発電を考えるなければいけない現実が目の前にあるわけなので,太陽光,風力,波力,地熱等の見直し,蓄電技術のそれらへの応用などの研究に拍車をかける必要があるのではないでしょうか?

車の運転免許を取る時に「だろう運転」はダメ!「かもしれない運転」をしろ!と口を酸っぱく,言われたものです。

原発にも同じことが言えると思います。事故,天災,崩壊はおこならない「だろう運転」ではなく,それらがおこる「かもしれない運転」をしなければいけません。

被災地の復興はもちろん必要です。しかし,それに並行して代替発電の検討について,議論を深めてほしいと切に願います。

2011年4月17日 (日)

船頭が多いと言うけれど,責任を取りたくない人も多い?

今朝の報道番組であるコメンテーターが言われていました。

「震災発生から1カ月が過ぎているのに,いまだに力を合わせられない国会議員にうんざりします」

野党の人たちは船頭が多いと責めています。これでは迅速に動けない。

与党の人が言いました。「野党も提言側から実施する権限を持った委員会に入ってほしい」

にわかには信じられないとか,新しい法律が必要だとか,なんとなく二の足を踏んでいるように見える野党。

言うは易く,行うは難し。

昔からよく言います。

よし,わかった。ならばその権限を持った委員会が何をするべき委員会とするべきなのか,その立ち上げからかかわらしてほしい。力を合わせましょう。

このように野党が言えば,まず,国会が一つになって,私たち国民のために立ち上がってくれている。と個人的にですが,安心できるような気もします。

いつまでたっても,一つになって力を合わせきれない。そして,力を合わせきれないのは「あいつが悪い」と他者の責任にする。

自分が責任ある立場に立てることを望んでいるのか,どうなのか?

今,何をすべきなのか,当然にわかっておられるかもしれませんが,頭の片隅に常に政局があって,二の足を踏んでいるように見えます。

「みんなで力を合わせてがんばろう」ACのコマーシャルメッセージでこのようなことが繰り返し流され,良くも悪くも多くの反響があるようですが,政治家の皆さんが今こそ,この気持でがんばっていただければ,少しでも不安を解消できるのではないでしょうか?

2011年4月 9日 (土)

ボクシングテレビ観戦日記

金曜日にボクシング世界戦3大タイトルマッチが行われました。

3戦中2勝で西岡選手,粟生選手は見事なKO勝ちです。

西岡選手は相手に合わせて臨機応変に狙うポイントを変えながら的確にパンチを当てていきました。途中からは大分見切れていたようで,間の取り方なども絶妙でした。それが油断につながらないか,それが心配なくらいでした。

相手はタフでぶんぶんと力のありそうなパンチを振っています。角度によっては見えにくい位置からもパンチが飛んでくるので,少しひやひやもしましたが,全体的に安心してみることができました。

最後は左ストレートでしたが,これまでのタフな挑戦者が崩れ去りました。積み重ねてきた西岡選手のパンチは確実にダメージを与えていたのだなと感じさせられました。

粟生選手は倒して勝ちたいという気持ちが強かったのか,序盤,力んだパンチがみられたような気がします。拳,一つ二つ,相手の体の中心線からずれた所へパンチがでています。

明日のジョーでもありましたが,内側へねじりこむように打つべしを意識することが大切なのですが,力むとやや外側へパンチが流れ,相手のカウンターを受けやすくなってしまいます。たぶん,気持ちが先に行くので頭と体がほんの気持ち手よりも先に動くからかなぁと思っています。

ただ,粟生選手は強くてうまい選手なので,修正はできるかなと思っていました。ただ,今回の試合ではうまさよりも最後は強さで決めちゃいました。パンチの強さは絶賛ものですね。ミットうちの相手をしたら,こちらの肩関節が壊れちゃいそうですね。

最後の長谷川選手です。体格差が明確で骨組みは一回り相手のほうが大きく感じました。なので,ナチュラルなパンチ力も相手が上だと感じました。

ただし,技術面・スピード面では圧倒的に長谷川選手が上だと思いました。スピードを生かしながら,的確にポイントを集めていくボクシングでいけるのかなと思っていました。1,2回では相手のパンチをもらうシーンもありましたが,その後の動きを見たところ,相手のパンチは致命的に強打でもないのかなと感じました。

ただ,気になったのは「気負い」です。震災に対してのコメントもありましたし,自分の前2人のKO勝ちもあった。絶対にねじ伏せて勝とう,自分も倒して勝たなければいけないと思っているのでは…と思われる戦い方が時折見られました。

事前の報道ではきれいな顔で終わる勝ち方というような表現もあったようですが,到底そのような戦い方ではありませんでした。

体格で上回る相手に(たぶんナチュラルウェイトでは相手がかなり上ではないでしょうか)真っ向から打ち合い,勇気ある戦いを展開しました。長谷川選手が戦っているのは相手だけではなく,「見えない責任感」とも戦っていたのではないでしょうか?勇気を持って相手と向き合い,倒さなければいけないといった「気負い」それがずいぶん感じられました。

そして,デフェンス,スピードの技術においては天下一品の長谷川選手があの大ぶりのパンチをもらってしまいました。

結果は残念です。さらに今後はわからないというコメントにも残念です。今,また長谷川選手は「見えない責任感」と戦っているのかもしれません。

無責任な言い方ですが,今こそ,その気持ちに打ち勝って,もう一度,いや,何度でもあの素晴らしいボクシングテクニックを見せてほしいと願っています。

2011年4月 7日 (木)

大相撲夏場所の無料開催について

5月の場所が審査場所ということで開催されるとのことです。入場は無料とのこと。

詳細はわかりませんが,個人的には開催するのであれば,今まで通り開催し,その入場料,力士の給料,懸賞金等を被災地へ義援金として寄付するほうがいいのではないかと思います。

良くも悪くも現在,自粛ムードが日本をやや覆っている状況の中で,無料になったから,それはいいとのことで,相撲観戦を楽しむことができるかなという思いがあります。

もちろん楽しむことは悪いことではないと思いますが,少しの罪悪感を感じながらの観戦となるかもしれない。

そうなるくらいであれば,入場料をきちんと支払って,それが義援金になるのであれば,観戦に行った人も,被災地支援に関与している気分にもなれるわけですから,いいのではないでしょうか?

5月の開催は決定だと思われるので,これで進むのでしょうが,7月場所は被災地復興支援場所として,開催していただけるのもいいのではないでしょうか?

相撲界は危機と言われています。しかし,今は日本の危機なのです。相撲は日本の国技なので,相撲界の存続よりも,日本の存続のために相撲はどんな役割を果たせるのかを考えて実行するほうがいいと思いました。

2011年4月 6日 (水)

風評被害とその風について

最近,風評被害という言葉をよく耳にします。

風評被害とは何でしょう。ウイキペディアによると

風評被害(ふうひょうひがい)とは、災害事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること。」

とありました。

今回の震災によるものでは,直接関係のないほかの業者まで損害が広がっているか。という点については様々な見解があると思われます。つまり,報道等によって,何らかのかかわりがあると考えられるものが損害を受けていると思われる点もあるからです。

ただ,その風を起こしたのは何か?

情報が独り歩きして,誇大,もしくは虚偽の情報に変遷しながら広がっているような現象ではなく,不安要素が入り混じった,様々な情報が飛び交い,人を不安に落とし,買い控えを引き起こしている。

とも思えます。

すると,その風は巷の人などが「ねえねえ聞いて…。」的な広がりではなく,それなりの専門性を持った人々から起こされていると考えられませんか?

ある専門家は「安心,大丈夫,少しくらいの放射線なら浴びたほうが健康に良い」と言い,また違う専門家は「この程度であれば安心,だが,浴びないに越したことはない」と言い,また,「非常に不安要素が高くなっている」と言い,「シーベルト」「ベクレル」「メルトダウン」など,聴きなれないカタカナが飛び交う。

時には報道番組で,専門家同士が見解の違いを明らかにし,明確な答えがないのではないかという不安を浮き彫りにさせている。

いろんな意見の交錯の中で,戸惑う人々をしり目に,今度は放射性物質の拡散予想をあえて公開しなかったとの報道。

人の不安は,ある種の防衛本能と言われています。わからない,先が見えないというのは大きな不安要素です。それがあるから防衛本能が働く。買い控え,買いあさりが起こってしまいます。

何が危険で何が安全。誰もが(専門家も含めて)共通して納得できる指針なり,基準なりの答えがほしいと思っています。

2011年4月 5日 (火)

自治体首長の本音

大阪府の知事,名古屋市の市長など地域政党の風が吹きつつあるこの頃です。

この風について,多くの自治体の首長等がよく思っていないようです。

「独裁的」な流れにつながる。そんな感じでしょうか?

「独裁的」ということは,自治体住民が「独裁者」に傾倒することで引き起こされる現象であろうと思われます。

地方議会を悪者にすることで,票を集めている。そういう意見もあるようです。

しかし,地方議会が住民の支持を集めていれば,みんなの味方の議会の悪口を言う奴は敵だという流れができることでしょう。

一つ思うのは,「住民はわかってないと思いますか?」ということ。

住民は単なる風に流されるいい加減な存在と思っているのでしょうか?

こういう風に思っているとしたら,住民蔑視もいいところだと思います。住民にはそれがわかっているから,支持されないのかもしれません。

簡単に流されると思うなら,反対の風を吹かせるといいでしょう。

地域政党の風が巻き起こったのは,どこに端を欲しているのか?

単なる住民煽動的な動きとして非難するのではなく,自らの問題としてしっかりとらえ,住民は見ているんだということも理解してほしいと思いました。

2011年4月 2日 (土)

チャリティーマッチからみた生活の豊かさ

サッカーも野球もチャリティーマッチを行っています。

芸能界でもチャリティーコンサートなど行っています。

野球が実際に救えるわけではない,歌が実際に救っているわけではない。

でも,怪我なく,ぎりぎりでも食べることができる生活を維持する。それだけが救援でもないのかなと思います。

人の生活の豊かさとは,食べる,病気にならない生活を続けることではないんだと思います。

最低限必要なものは食糧なのかもしれません。

しかし,最低限だけでは,人は満ちたものを感じられないのではないでしょうか?

やはり,芸術的,またはスポーツが人の心に与える影響は,考えていたよりもずっと大きいのだと思いました。

話はがらりと変わり,とある障がい者の施設で,必要な食べ物と医療がそろっているから安心と言われている親族がいました。

安心なのは親族であって,決して本人の満足は,それだけでは得られない。

その気持ちがまた強くなった,今日この頃でした。

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